丸の内OLの観劇日記

20代会社員が宝塚について語ります!

月組「グレート・ギャッツビー」感想①

こんにちは!

 

東京でも観てきました月組「グレート・ギャッツビー」

 

この「グレート・ギャッツビー」という作品、私は過去の宝塚上演は観ていないのですが、映画を事前に観ていきました。

作品としての印象は、ギャッツビー重すぎっっ!!!!というのがなによりなのですが笑、とにかく映画を観た時はあのレオナルド・ディカプリオをもってしても、かっこよさより愛の重さの恐さが勝ってしまうような、もうストーカーでは?!というレベル。もともと気持ちを残して別れたとはいえ、元彼が対岸の自宅がみえる場所に家建てるって恐怖ですからね。

特にデイジーが発狂してしまう場面については、あまりにも追い詰められすぎてこれはちょっと…となってしまうような。。

 

その点、宝塚版はわりとマイルドに綺麗になっていて、あまりにも映画のディカプリオが重すぎたので、おぉこれならまだ恐くないな!というのがムラで最初に観た感想でした笑

特にわかりやすい違いは、まずゴルフ。映画ではゴルフなどせず、アパートでジェイとトムがデイジーを挟んで言葉攻めにして発狂してしまうという流れだったのですが、ゴルフの場面でギャッツビーの過去を途中まで話して、やめて!!となるのはマイルドだったなと思いました。れいこ×ちなつなら映画版くらいの口喧嘩も観たかった。

あとはデイジーを家に送り届けてから殺されるまでの解釈がだいぶ映画とは違った印象。

映画では落ち着いたらデイジーと一緒に逃げようとジェイは伝え、デイジーからの連絡を待ち侘びているところを突然暗殺されてしまいますが、今回の月組版では罪を1人で被るが故もうデイジーとは会わないと覚悟し、ウィルソンに「車を運転していたのはお前か」と聞かれて答えるところも、すごく自信と満足気な顔で頷くので、同じように死を迎えたとしても、まだ月組の方が安らかだったかなと思いました。

 

月城かなと×海乃美月といえば、「THE LAST PARTY」

あの作品を経て今回のギャッツビー。ラスパで、スコット・フィッツジェラルド本人の苦労と愛の重さというのがすごく描かれていたので、その本人の辛さと妻への想いが作品に込められていると思うと、すごく納得のいく話でした。3番手からトップになっても同じ主演コンビで上演されるというのは改めてすごいことですね。

 

個人的にはこの作品で1番良いところは、卒業となる夏月都・晴音アキがそれぞれ同期の光月るう・輝月ゆうまと階段を降りてくるところ。特にまゆぽんは専科となったので、どうなるかなー?と思ったら、月組同期として降りてきたのがあまりにも感動で…!!名同期コンビです。

 

さてそれではキャスト別です!

 

ジェイ・ギャッツビー : 月城かなと

愛が重すぎるのに、デイジーへの想いはかなりジトジトしてるのに、あまりにも顔が良すぎて爽やかに見える!ずるい!!笑 

演技が上手と常に言われておりますが、今回特筆すべきは「朝日の昇る前に」の3回の歌い分け。1回目はずーーーーっと努力してきた日記の一節のごとく静かに強く、2回目はやりなおす事に対する決意と希望をもって煌びやかに、3回目は最期デイジーを守って死ぬことができたという満足感のもとやりきったという顔つき声色で、私の日本語力では表現しきれないけれど見事でした。

 

デイジー・ブキャナン : 海乃美月

馬鹿な女を演じている、という程ではあるのかもしれないけれど、人生に満足できていない顔をしつつ初恋を引きずっているのは決して大人の賢い女とは言えないかな…?というところが難しいところです。ギャッツビーは1917年で27歳、32歳没の設定のはず(墓に記された日付より)ですが、デイジーは1917年で18歳、ということはまだ23歳の設定なので、そのあたりの年齢の表現としては正しいのかなと思いました。

ギャッツビーの墓に白薔薇を投げ入れる場面、あの時に悲しい顔でも笑顔でもなく、全てを封じ込めた美しい真顔であることが素晴らしいなと。ジェイへの想いもマートルを轢き殺した罪も全てを薔薇に封じ込め彼と一緒に葬り去るというところに繋がるまでの流れが見事。そしてそれを決意してこそ本当にこれから賢く少しズルい女として生きていくのでしょう。パメラに幸あれ。

 

長くなってきたので他のキャストは次の記事で!

 

 

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