丸の内OLの観劇日記

20代会社員が宝塚について語ります!

宝塚における"性"と"社会問題"

こんばんは

 

現在公演中の宙組公演「Deliciuex」。その中で際どいシーンがあるようで、賛否両論なようです。

私自身は東京公演を観る予定で、まだ観ていないのでこの場面に対する批評などはないのですが、今回はそんな反応などをみて宝塚における"性"、そして"社会問題"について思っていたことを書いていきたいと思います。

あくまでも一個人の意見であること、ご了承ください。

 

宝塚はトップコンビである男役と娘役、つまりは男女の恋愛の美しさを描く場所でした。

でもここ最近まだ物語の中心ではないけれど、LGBTも普通に描かれるようになりました。あまり昔のことを知らないので昔からあったらすみません。私が思い出せるのは、「A-EN」輝月・佳城カップル、「グランドホテル」ラファエラ・オッタニオ、「BADDY」スウィートハート、「I AM FROM AUSTRIA」パブロ×フェリックス。何故か月組ばかりなのですが…笑

そんな風に、男×女だけが美しい恋愛ではないと表現しているのは、ちゃんと時代の流れは沿っているなと思います。

 

そして違う"性"の問題が、際どいシーンや娼婦などの扱い。

宝塚、というかほとんどの舞台やテレビでは、秘部がうつることもなければ実際にそういうことをする事もありません。特に宝塚はキスシーンだって本当はキスしていないし、際どいといっても限度があると思います。だから宝塚で表現できる範囲であれば大丈夫なのではないかと思っております。むしろ危ないと感じさせるほどのものをみせることができるってすごいことだと思うんですよね…。デリシューみて意見変わったらすみません笑(というか演出変わったらしいですね)

 

そして娼婦の問題。日本物であれば花魁もありますし、名作と言われる「ミス・サイゴン」「レ・ミゼラブル」もヒロインが身体を売るシーンがあり、宝塚でも「1789」「エリザベート」でもそのような女性が登場します。

実際に当時そういう女性たちがいたこと、そのこと自体が貧困や悲しさの象徴であったというのは事実であり隠すべきではないと思います。というか話が成り立たなくなるので…

だから現代にも各地の社会問題として残る売春問題とこのような娼婦表現を一緒にして、教育に悪いと言ってしまうのはナンセンスだと思うのです。

ここで重要なのは、身体を売ることは決して幸せなことではないときちんと表現していること。

サイゴンのキムも、レミゼのファンティーヌも困って困り果てた末にそこにたどり着いてしまいますし、1789ソレーヌも生きるための苦肉の策、エリザのマダムヴォルフは若干楽しそうですがあの件が原因で皇帝夫妻の仲は取り戻せないほどの亀裂が入ります。

そのように決して良いことではないけれど歴史にあった事実として表現の仕方に注意することが必要であり、隠したりなかった事にする必要はないと思います。

 

同じように実際にあった過去の歴史と現代に残る社会問題の線引きが難しいといえば、黒人差別。

映画版「風と共に去りぬ」は配信や放送禁止になりましたし、ディズニーランドのスプラッシュマウンテンも黒人差別を彷彿とさせるという理由でアメリカでは内容が改修されるようです。

 

風と共に去りぬの問題点は、黒人奴隷を採用していた南部は南北戦争で負けるけれど、"それでも南部には良い時代があった"という描き方をしていることでしょう。黒人奴隷を肯定してるとも捉えられる描き方が問題です。

なのでもう少し事態が落ち着き、演出や脚本を工夫すれば再演はできなくもないかな?と思いますが、しばらくは無理でしょうね…。あとは、マミーの黒塗りもアウトでしょう。

マグノリアの花、さよならは夕映えの中で、など名曲も多く、レッド・バトラーとスカーレット・オハラは宝塚屈指の名役の2つですから、これから一生見れないのは寂しいなと思います。

 

「For the People」でも光ちゃんが黒人役として黒塗りでしたが、ああいうのもダメなんでしょうね…。作品自体は黒人差別に立ち向かっているけれど、表現方法がアウトなのか。日本人女性だけで舞台を作る中でどうしたらいいのだろう…という感じですが。

ラテンショーの日焼け肌は大丈夫そうですが、果たしてそれを黒人役として表現するとまた違う意味での差別となりそうで。難しいですね。

しばらくはアメリ南北戦争時代を取り扱うの無理でしょう。

今も根深く残っていますからね…ナチスドイツのように、過去を反省しユダヤ人差別を決して肯定せず時代情勢としてうまく取り込めるようになるといいのですが。

 

そして最後に、女性活躍推進について。これ実はずっと思ってた事なんです。

各所で最近は"自立型娘役"が人気と言われています。もちろん筆頭は愛希れいか。ちゃぴの活躍が娘役のデフォルトを変えました。

でも1歩下がる娘役よりも、1人のスターとして隣に立っている娘役トップが好きという人が増えたのは、一概に宝塚だけの影響ではないと思います。

 

日本における美しい女性像というのが、一昔前は、慎ましく男性の一歩後ろを歩く女性であったのが、現代はそれは女性差別の1つと認識され、男性と同様に堂々と生きる女性が美しいという時代です。

もちろん宝塚の主役が男役であることには変わりないのですが、娘役(=擬似女性)が男役(=擬似男性)を引き立たせるだけに徹し一歩下がってお慕いするような姿よりも、後ろではなく隣に1人で立っている姿の方が美しいと思われる時代になったのではないでしょうか。

娘役が上級生になることは基本ないですし、先輩後輩としての尊敬が出ていれば十分なのかなと思います。だからこそ、ちゃぴのちょうど良さが時代とピタリと合って大人気娘役となったのかなーなんて思っています。

そもそも全員女性なので笑、男役が主役であり続けることに男尊女卑とかいう人は出てこないと思いますが、トップコンビの姿が理想のカップル像であるならば、トップコンビのあり方が時代に沿って変わっていくのも自然なのかなと思います。

 

少し重い話になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!

 

 

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